k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

森になりたい

賃労働中のわたしと、そうでないときのわたしは別人みたい。

賃労働中は元気にみえる。そうでないときは、タオルのことを考えている。タオル。二十歳のとき、理性を失ってタオルを首に巻きつけてぶらさがることを繰り返していた。あのときの気分だ。

 

賃労働はつらい。労働をしたくない。けれど、労働という枠があるから、ひとらしい形を保つ義務があり、いやいやながらひとの形を保っている。

 

心からののぞみといえるのは、布団に好きなだけこもって眠り続けることだ。ずっと眠る。季節が変わっても眠る。

そのうちにまるくなって眠るわたしは小さな木の実になり、芽吹き、布団を苗床にして根が広がり森になる。アパートを飲み込み、道路を飲み込み、川を飲み込み、広大なジャングルになる。

森になったわたしは、もはやわたしではない。いつか焼かれ、切り倒されるまでそこに森はあるだろう。