k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

薬を倍量飲んでも眠れない

理由はわかっている。月の3分の1が夜勤なこと、夜勤の翌日に早朝勤務なこと。スマホを閉じることができないこと。

 

日中、特に用事もなかったが胸部を平坦にするタンクトップ型の下着を身に着けていた。胸が平坦だとこれがあるべき姿と思える。自己肯定感があがる。たとえ苦しくても、乳が下垂してもブラジャーをつけるよりはましだ。

そのままの姿で自室の床に転がりインターネット通販の服を眺めていた。メンズ服を検索し、サイズ表を見比べ、わたしのサイズにあわないことだけを確認する作業だった。途中で気絶して、着ていたナベシャツを引き裂かれる夢をみた。朝にシャワーを浴びたはずなのに、覚醒してみると顔にじっとりと脂が浮いていた。

夕方になると絹のマスクを身に着け、ショッピングモールを無目的にブラブラした。専門店外の服屋は営業時間を短縮したままのところともとに戻ったところが、混在していた。

本屋で男性ファッション誌を立ち読みして憧れと嫉妬と絶望を覚える。

 

どれもこれも、わたしにままならなさをつきつけることになる。

なぜ身体はままならないのだろう。

ふしぎだ。

 

そう、己に自我があることを思い出さないようにしている。

社会的にわりあてられたIDに沿って働いている以上、わたしに自我などない。つかれたし諦めたのだ。わたしの内心の葛藤を、圧倒的現実と既成事実が覆い尽くしていく。

男になりたいか?と問われれば違う、と答える。わたしはトランス男性ではないだろう。強いて表現するならばXジェンダージェンダーフルィド、ジェンダークィア、ブッチ、そのどれかだ。

 

しかし、そのことは忘れる。忘れることが賃労働と分かちがたく結びつき、自分だけの部屋の家賃になっているからだ。自分だけの部屋は、わたしの自由の象徴だ。

わたしの自由のために、わたしを殺すことが必要なのだ。

たいしたことではない。いつからか、もう何年も日常としてきたことだ。これから先もそれが続くだけ。

諦めはしっとり冷たい綿のようにわたしを包み込む。馴染み深い万年床だ。