k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

TRPに寄せて

声をかけてもらって、ハッピープライドとか言ってられないクィアのためのZINE BELOW2号に寄稿した。

わたしはTRPでイスラエル大使館に抗議したらTRP運営に警察を呼ばれた話などを書いている。

https://nigenige110.hatenablog.jp/entry/2024/04/04/203055

 

TRP……TRPね、TRPについて語ろうとすると複雑な感情がわいてきて、言い淀んでしまう。

わたしはTRPの最初期2012年から2018年頃まで毎年のように参加していた。最初はまだアットホームで運動の場という印象だったのがどんどん悪い方に変貌していった。今後は参加しないと思う。

参加者のプラカが気に入らない政治性を帯びてると排除しすぐ警察を呼ぶ運営のもと、資本主義と企業広告の祭りになってしまったTRPに行っても悲しい気持ちになるだけだと思うから。

TRPには失望が大きい。そう、失望である。まだわたしはTRPになにかを期待している。TRPというかPRIDEパレードに対しての期待かもしれない。TRP運営は💩だと思うが、TRPそのものがなくなってほしいとは思わない。

TRPでデモ行進すると(法律上はデモ行進なのだがTRPは頑なにデモ行進とは呼ばない)沿道の人間たちが「ハッピ〜プラ〜イド!!!」と叫びながらハイタッチを求めてくる。

わたしは「なに!?」と思いながら顔をしかめて手を引っ込める。

 

わたしは思い出す。

約十年前、たまたまTRP会場で挨拶したひとりのゲイの人を。

彼はひきこもりで両親にカミングアウトはしておらず、ほとんどコミュニティにもつながってないようだった。

その人は知人が連れてきて、わたしは面識がなかった。当日は一緒にいくらか会場を回ったと思うが、そんなに会話した記憶はない。

後日、彼は自殺した。

わたしは彼のTwitterアカウントで彼が死の直前に綴った言葉を見た。人生のなかで唯一輝かしい瞬間としてTRPに参加したことを彼はあげていた。

そのことを思い出すとほんとうに悲しい。正直、TRPは彼にとってあまりいい場所ではなかったと思う。TRPが彼に新たな居場所を与えるような、彼の世界が拓けるようなコミュニティに繋がれる場所だったら、彼は家に帰っても孤独にならずにその後も楽しいことやいいことがあったのかもしれない。

その後もTRPは悪い方向に変わっていって、お金がなく、友だちもいないようなぼっち参加の参加者にはほんとうに居場所のない肩身の狭い思いをさせるような、孤独な人はより孤独を深めるようなそういう場所になっている。今のTRPはすでにハッピーで恋人や友人がたくさんいて、経済的にも社会的にも困ってなくて、社会に申し立てたいこともないような強者のための資本主義の祭りだ。

 

「HAPPY PRIDE!」のハイタッチ、アレほんとになんなんだろう。

PRIDEって抵抗し社会に異議申し立てることを指す言葉じゃなかったのか。TRPの1日だけハッピーでも意味がない。その他の364日が絶望の日々じゃ生きていけない。PRIDEパレードはパレードのない364日のことを変える日であってほしい。

それからTRP運営はすぐ警察を呼ぶけど、警察なんか呼んだらだめだろ。警察に仲間を売るような真似をするなよ。国家権力はわたしたちを利用することはあっても、仲間になることはない。

 

TRPにはPRIDEの意味を考え直してほしい。そして、ほんとうの意味でPRIDEを持てる場所になってほしい。

わたし自身も都会のPRIDEパレードに憧れる10代の子どもだったことと、日本のPRIDEパレードはTRPだけじゃなく、PRIDEがあるパレードが各地で行われてることも忘れないようにしながら。