ここ2日は、ミュージカル「モーツァルト!」の配信を観ていた。
これは、愛情深いが支配的な父にありのままの自分を認め愛されたいと願いながら、どうしても認めてもらうことができず、苦悩の人生を送った天才の物語だ。神童と歌われた幼い頃の自分(アマデ)が影となり、大人になったヴォルフガングの人生につきまとい続け苦しむ……。
観れば観るほど家族の話だった。
観ていると、どうしても個人的な思い出が蘇ってきてつらかった。
突然だが、わたしが人生ではじめてはっきり死のうと決断し具体的に計画したのは、8歳のときだった。当時いじめられていて担任も味方ではなかった。深く絶望していた。
しかし、わたしを思い留まらせるものがあった。母の存在である。母が悲しむと思い実行しなかった。そのときから、わたしには8歳のときに生きる選択をした自分に報いることと母のために生きることが人生の目的となったのである。
だから、わたしに特別な才能はないけれど、わたしにも8歳のときの自分というアマデがいた。
わたしの母を「毒親」という言葉にあてはめるのは躊躇いがある。母はレオポルドのようにたしかに愛情深かった。
けれど、わたしが違う人格だということはわかっていなかった。そして、わたしも母を目標とし母のようになろうとしていた。
わたしと母はわかちがたく結びつき、自他の境界がなかった。
しかし、わたしは母の期待どおりにはなれなかった。わたしに「社会」は難しく、母をいたく心配させた。
息子ヴォルフガングに「正解」を示そうとし、手元に置き保護しようとして苦言を呈し続けた父親レオポルドのように、母はわたしにいろいろなことを言った。けれど、そのどれもわたしにはできなかった。わたしの能力を超えていた。
努力してもできないことを「なぜできない」「そのままでは将来生きていくことはできない」と言われ続けたわたしは、自分自身をことあるごとに責めて、なまけものの無能だと思い込んだ。
また、母はわたしにヘテロセクシャルであることをおおいに期待し、大小さまざまなお膳立てもしていたが、わたしはそうした期待にもいっさい応えることができなかった。
実は、幼少期から母が「おすすめ」してきた男子のひとりとデートしたことがある。けれど、デートの最中わたしの身体はブルブルと震え続けまともにしゃべることも難しく、彼とカラオケに行ってから一年はフラッシュバックに悩まされカラオケルームに入ることができなかった。
母の期待の重荷と、ありのまま自分の狭間でわたしの葛藤は年々大きくなっていった。
そうして、青年期に入ったわたしは死んだ。
いや、死んではいないが3日に2度くらいの頻度で首吊りを試みるようになってしまったのである。
重度のうつで寝たきりにもなった。
それでやっと、わたしは母の期待どおりにしようとすると死ぬほかないということに気づいた。
だから、今は母とはあまり話をしない。
たしかに母はわたしを「心配」しているがその「心配」を受け取ると、わたしは生きていけないのである。
母には母の尺度があるが、それはわたしのとは違う。わたしにはわたしの能力の限界があり、わたしはわたしとして生きていくほかない。人間は孤独。
別の人生で別の人格だ。
ヴォルフガング、あなたもそれを知ることができたらよかったのにね。
あなたは父に愛されてると思うからこそ、ありのままを肯定してくれる父の愛を請いながら死んでしまったけれど、愛されていても理解されるとは限らないんだよ。
愛されていたから、親への期待を捨てることができなかったんだね。