k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

確信はないから無視できると思っていた

わたしはわたしをどう定義しているか?という問いにいまだ答えられない。

かなりしぶしぶ「ノンバイナリー?というのかもしれない」とあいまいな言い方をするので精いっぱいだ。

わたしのなかに確信はない。

確信はないから、無視できるとずっと思っていた。

 

なにかがおかしいと気づいたのはいつだったのか、わからない。

その感覚の芽のようなものが出てきたときはとにかく押しこめて忘れて、押しこめて忘れて、と繰り返してきたからだ。

ただ二十歳前後のときに「Xジェンダーなの?」と人から聞かれたことを覚えている。

そのときは否定した気がするが、でもやっぱりそのようなものだったんだろうと思う。

 

なぜ否定したのか。

わたしはトランスジェンダーと名乗れる人は、移行したいという希望がはっきりとあり、生まれたときに割り当てられた性別とみなされることが一秒でも耐えられないという明白な苦痛があり、そうした希望や苦痛があることを躊躇いなく言える人なのだという思いこみがあった。

わたしにはそうしたものはなく、漠然とした違和感としか言いようのないものだけがあった。

だから、自分がトランスジェンダーのはしっこに引っかかるという考えを持てなかった。

 

感覚があいまいだったので、押しこめておけば忘れていられるし、時間が経てば解決するだろうと考えていた。

でも、何も解決しないまま時間だけが経った。

どうやってもこのあいまいな感覚は消えない。

消えないということだけがわかってきた。

たぶん人生の半分以上、このあいまいな感覚はなんだろうと思い続けている。

 

「ホルモンをしたい」とか「オペをしたい」とか迷いなく言えたら、実行できたら、それを根拠に自分が何者であるかに確信を持つことができるのだろうか。

わたしが何者であるかについて、根拠になるものが、ようよう言葉にできないわたしのあいまいな感覚でしかないから、なにもわからない。

風前の灯のような頼りない感覚なのに、けっして消えないシコリ。

これはなんだ?


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