今朝、起きたら、深夜のうちに友人からLINEが入っていて、「あなたと話しているとわたしはウォッシュレットで洗われる尻の気持ちになるよ」とあった。
排便を洗うウォッシュレットは嫌だったので、友人の自己認識を便が付着した尻からドブネズミに、わたしに対する比喩をウォッシュレットから川に訂正させた。
川で身を清めるネズミというファンタジックな光景だ。
ウォッシュレットじゃないにしても、最近の私は道具として喩えられすぎである。
早く森になりたいものだ。
今日はお久しぶりな人からの連絡も入った。
とってもほわほわしていてかわいい、わたしが何年も慕っているお姉さんだ。
約一ヶ月前に郵送したキョムジンの感想を今返してくれたらしい。律儀な人だ。
お姉さんも労働によって苦しめられているらしく、まったくもって労働というのは悪徳だなという確信を深めた。
まあそんなこんなで、お姉さんと数回やりとりすると、わたしのほぼ死滅しているかと思われる感覚器官の残滓が反応するようで、お姉さんとのなんともハートフルなやりとりによってわたしは舞い上がり、いつまでもこうしていたいと思うのだった。
コロナでいつまでも会えず、いつまでも恋愛感情にはならない。最高だ。
願わくばずっとこうでいてほしい。
誰とも恋愛関係を構築したくないしセックスもしたくない。
独占するのもされるのも嫉妬されるの嫉妬するのも執着するのも執着されるのも嫌、だから契約する意味がない。
わたしはこのこと言うのに、もう「配慮」はしない。
おやすみ世界