Twitterでは何度か書いてるがわたしは思春期のころ、限られた人としか会話できずほとんどの人に対して「あぅあぅ」としか言えなかった。
「あたし、あんたをいじめたいわけじゃなくてふつうに話しかけてるだけなんだけど」って話しかけられても、うめき声しか出せないわたしに対して相手がイライラして冷たい目をしてきたのをよく覚えている。
相手の怒りにふれて、わたしはますます固まって冷や汗をかいて縮こまることしかできなかった。
そのころのわたしは、ほとんどの人間がほんとうに心からこわかったのだ。
そして、作文も何を書いたらいいのか、書き方もわからなくて書き上げたことがなかった。
つまり自ら主体的に人と交流するための言葉がなかった。
カチコチの石みたいに黙ってるしかなくて、実際わたしは「壁」と陰口と叩かれてた。
あのときのわたしは、なんだったんだろう。
人とコミュニケーションとれない存在は、存在していないようなものなのだろうか。
外の世界とうまく交流できなかった反面、わたしのあたまのなかには世界が広がっていて、そこに引きこもってわたしはかろうじて息をしていた。
やがて、わたしはインターネットとわたしの内面の世界を接続させるようになっていく。
はじめはインターネットに日記を書くところから……次にメル友との頻繁なやりとりで人間との会話の仕方を……最後に現実世界で徐々に話せる人の範囲を広げるようになっていった。その後から現在までは、ほんとうにありとあらゆる方法で人の話を聴いたり、話したりする技術を学んでる。
今のわたしがそれなりに社交できて言葉を使っているように見えるとしたら、訓練したからだ。
今もわたしのなかには人間を怖れ「あぅあぅ」としか言えなかった子どもがいる。
折にふれて思い出す。
あのなにも言えなかったし書けなかった時代を。
そのときもわたしはいた。
言葉で己を表すことができなくても、存在していたのだ。
ひとりで内面に大きな世界を抱えて。