k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

新しい概念として生きることなんてできない

「どこにも居場所がないような気がしている。ひとりで世界そのものと戦わないといけないような気がしている。新しい概念として生きることなんてできない」と吐き出したとき、わたしの手は震えていた。

ずっとわたしはなんなのだろう?と思っている。ちょっと性役割に適応できない程度のシス女性なのか。「そんなの女性なら誰もが持っている」程度の違和感なのか。

 

ほんとうなら肉体なんてないほうがいいと思っている。だから食べたくないのだろうか。

でも、理性(!)のみで生きることもできないのだ。

わたしの脳はどこか壊れているのだ。

日光浴とか排泄とか原始的で肉体的な単純なよろこびが、最後にわたしに残るものだろう。

 

わたしの状態を言葉にあてはめるならノンバイナリーになるのだろうか。でも、この世にノンバイナリーの居場所などない。微に入り細に入りCISTEMの支配下におかれ制度化されている。ノンバイナリーらしいありようもない。ノンバイナリーとしてパスすることは不可能だ。ジェンダーとは他者によって読み取られることによって成り立つものなのだから。その他者の認識がCISTEMのフレームで固まっている。

これはいい訳なのだろか。違和が強いはずなら使えないはずの施設を使い、シスヘテ女性の身分で働き生きている。それがとてつもない特権とズルさだと感じている。