かなり長い間「なぜか自分の女性性を消したいという気持ち」「なのに男になりたいとはさっぱり思わない気持ち」でも「男性とみなされる方がマシな気持ち」のなかで混乱していた。
最近になってわたしはノンバイナリーという言葉を見つけたが、ノンバイナリーだと思っているかといわれる微妙ではある。
その言葉があったほうが上記の混乱が整理されるから、しょうがなく消極的にそれっぽい言葉が見つかったから、使っている、というのが実情に近い。
ノンバイナリーという言葉を使っていても、このバイナリな世界の中でみんなあり方はオリジナルで、手本になるような「こうすればよい」という姿はない。
孤独なのだ。
同じ人はいない。
性別欄 男/女/その他 でもない。
このことの孤独を見つめなければ、バイナリな世界のわかりやすさに「ノンバイナリー」という既存の秩序をすべてひっくり返すようなラディカルさは消えてしまうだろう。
わたしたちは違う。
でも手は取り合える。
違うことに希望を見つけなければいけない。