海に行き、ぼんやり過去を考えていた。
自分に過去があることに、ぎょっとするような思いがある。
長い間、“いまここ”を乗り切ることしか考えることができず、過去も未来も存在していなかった。
瞬間を乗り切っていたら、いつの間にか歳をとり、自分より若い人も周りに増え、年齢相応の重みや責任というものを考えることが増えた。
若い人には、わたしを見ないでほしいという思いがある。
なぜなら、わたしは若い人に見せられるような、いい大人ではないからだ。
若い人には、人生は生きるに値すると信じさせてくれるような、エンパワーされるような、そういう大人を見ていてほしい。
不思議なことだ。
わたし自身が未来に希望を持った若者だったことはない。
子どものころからずっと希死念慮と手をつないでやってきた。
今もなんとか働いてはいるが、いつ限界が来るのかわからない綱渡りをしている。
そんな頼りないわたしだが、見ているとこいつも生きてるから自分も生きれるかもと、なんとなく希望が持てるような、そういう存在になりたい。
かなりひんぱんに後ろ向きにうじうじしているし、調子のよくない日も多く、しにたみと手を切れないが、それでも生きている。
今つらい人、つらくてもなんとか生きていけるよと言いたい。
十年以上前と比べればよくなっている部分もある。
たとえば、少しずつ自分を認められるようになったこと。自分を肯定する努力。ままならないものを受け入れて、見つめる営み。ほんとうは食べたくないけど、食事をとること。食べたくないことを許すこと。
自分の楽しみのためだけにお金を遣うこと。自分の好きなものを探っていき、増やすこと。
常に混乱し否定していたジェンダー周りのことを、薄目だが見つめられるようになってきたこと。
亀の歩みだが、前進をしている。
ずっと前向きな姿勢でいることはできないけど、時々前を見て、やっている。
はじめにメンタルクリニックにかかってからもう十年以上やってきたから、ままならない体調にふりまわされながらも自分は生きていけると信じている。
ポジティブじゃないし、健康じゃなくても、生きてるし、少しずつならましにできる部分もあるよ。
そう言えるようでありたい。