k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

森にいる

わたしはよく森にいる。

この森はいつも人間で賑わってる。

 

水遊びする幼い子どもとその親。釣りをする年老いた人。大きい一眼レフを首から提げたバードウォッチャーグループ。散歩する初老のカップル。フラダンスサークル。ラジコンの車で崖上りに挑戦する人。全身金色タイツで動画撮影する人。ひたすら筋トレしてる人。犬の散歩をする人。

 

わたしはそのどれでもない。わたしは森でなにもしてない。なにもしないをしに行く。

いつも同じ水辺の大きなひらたい石の上に座って、空や水の色をみたり、居眠りしたりする。すると、日が暮れて、数時間経っていることに気づく。暗い森にはもう誰もいない。

 

不思議だ。

なにもしていないのに時間は流れていてその間、わたしのあたまのなかは空っぽだった。

 

影で黒い水のなかに、赤い鯉の背をみつけた。

そんなようなことしか覚えていない。

無だ。

わたしは本来そのようなものだったのかもしれないとおもう。

 

労働は目まぐるしい。反射神経と責任、分刻みのスケジュールとマルチタスク感情労働。日常的な罵倒。なにも感じない心。

 

SNSも速い。速すぎる。いっこうにいなくならない差別主義者。どんどんブロックする。気がついたらブロック数が万を超えていた。

 

あまりに速いので、なにかをつねに考えていないといけないような気にさせられてしまう。

でも、速さのなかで波に足をとられて転ぶように出した言葉なんてほとんど反射的なもので、よく考えた言葉とはおもえない。

 

 

とにかく疲れる。

「有意義」と呼ばれるものにうんざりしてる。

 

もう夜だ。

水に月が浮かんでる。

帰らなきゃ。

 

 


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