今日は比較的落ち着いていた。
なにも感じなかったからである。
感じないというのはひさびさだった。人形のように横たわり、浅い眠りとぼんやりした頭で窓から吹き込む風の感触を楽しんでいた。
感じないというのはなんて平和なんだろう。
怒りもない。悲しみもない。驚きも喜びもない。
強いていうなら、あるのは退屈くらいなもので、なにも感じないときの退屈はそれほど脅威ではない。
ただ時間が流れるだけだ。
逆に感じるときはどうだろう。
わたしの感情がある時間。それはおそろしい時間だ。
一般に、自殺念慮のある人間はアンビバレントな感情を抱いている。生きたいという気持ちと死にたいという気持ち。
その両極の気持ちの間で激しく揺れ動くとき、リスクが最も高まる。
調子が悪いと、わたしのありとあらゆる感情は磁石のようにひとつの結論に吸い寄せられていく。そして、その結論を否定するために理性を総動員して、真逆の意思を維持しようとする。
それがとても疲れるのだ。
感情もなくただ横たわっている時間。
それは平和だ。
植物とはこういうものかもしれないと思う。
ぼんやりして風と日光を感じて、少し退屈。
そうしてやっぱり思う。
はやく森になりたい。