本日の昼間は久々に紙の日記を書こうとしたけれど、ペンのインクがうまく出なくてイライラしてあまり書けなかった。
それに書くべきこともごくごくシンプルで、あたらめて書いて検討しどうにかなるようなものも少なかった。
そんなことを再確認するとどうでもよくなって、すべてを投げ出したい気持ちになり、食事をサボっていた。
何も食べないわけにはいかないので一ヶ月以上前におやつとして書いおいていたマフィンを一個食べてみた。けれど、油と砂糖が強烈で残りはすべて捨ててしまった。マフィンに罪はない。わたしのコンディションがよくなかったせいで舌が過剰に反応してしまったのだ。
夕方になると、泥人形と化した自分をコネコネしてなんとか人のかたちに見えるよう成形し買い物に出かけた。
あえて歩いていってみたら、まあ悪くはなかったけれど、体力を消耗した。
最優先は食料確保だったけれどやる気が出ずフードコートで中華を食べそれで良しとした。
巨大なおもちゃ売り場コーナーでおばけの人形を探した。己への情操教育のためである。
わたしはいま、自分ちゃんを受け入れましょうという一大プロジェクトに取り組んでいると言っても過言ではなく、人形に人格を見出しそれを大切にすることもどこかしらつながるだろうと曖昧に考えている。
おばけちゃんは虚無の象徴であり私の分身であり、有り体に言うときしねんりょであり、アマデである。
できるだけかわいがってやろうと思う。
買い物への行き帰りのあいだ、脳みそのなかでギュルギュルとありとあらゆる考えが駆け巡っていた。半月前は粘土でも詰まっているのかと思うほど重く動かなかったものが、とめようもなく回転し続けるので、己の回復を実感した。それと同時に疲れて果てていた。
駆け巡る考えは望ましいものばかりとは限らないのだ。
わたしはうつの回復過程のリスクというものを思い出し、ため息を吐いた。