また、なにもしたくない、スマホを割って半年くらい引きこもっていたいの波に飲まれていたが、なんとかやっている。
完全に波にのまれてしまえば楽なものだ。薄暗い室内で布団をかぶり続けていれば、3日も3ヶ月も300日もさほど変わらないと思えてくる。
しかしながら、わたしは賃労働者であり、そういうわけにはいかなかった。中途半端に眠った心身を引きずって空元気の笑顔をはりつけて蟻のように働いている。
ところで世間は未曾有の感染危機で、わたしの職場でもマスク着用が義務付けられている。
マスクは良い。
息苦しくわずらわしいが、マスクは良いものだ。
なぜなら、マスクの下で口をぽかんと開けてアホ面になっていても、腹が立ったときに舌をペロリと出しても気づかれないからである。
ふと思う。
マスクをしてるとき、わたしはいったいなにをマスク(覆い隠して)いるんだろう。
気がついたら、わたしがマスクを外すときは、森にいるときか自宅にいるときに限定されるようになっていた。
人と接する場面ではマスクをすることが新しい常識で最低限のマナーになりつつあり、マスクを外すということはかなりプライベートな行為と言えそうだ。
今の世情で、こんな質問はぎょっとされるかも。
「最近マスクを外して誰と会話した?」
半年前には当たり前だった行為について聞くことが、いつの間にか、セックスのことを聞くような気まずくずうずうしい響きを帯びるようになっている。
人と会うこと、会話すること、それが口にできない秘密になってきている。
なんだか急にプライベートとパブリックの境界がぐちゃぐちゃと変化していて、ついていけない。
ところで、聞こえ等の兼ね合いでマスクをするとコミュニケーションが難しくなる人たちがいる。
マスクの意味を理解できなかったり皮膚感覚の問題でマスクをつけることができない人たちがいる。
感染症は差別しないというが本当だろうか。皺寄せはどこにいき、皺の伸びたきれいな部分には誰がいるのだろう。