何年も前に言っていたこと考えてたことと驚くほど変化がなくて、わたしはずっと同じことを気にし同じところをぐるぐるまわっていたのだな、と気づいた。
相模原市の津久井やまゆり園で起きた大量殺人のことが、あたまから離れない。
あの事件は、わたしの人生の方向性を変えてしまった。
事件が起きる前も福祉を学んでいたので、もちろん障害福祉の講義を受けたことはあったし、なんならサークル活動で知的・発達障害のある方々と一緒に毎週末散歩に行ったり料理をしたりしていた。だけど、障害福祉のこと、優生思想のことを、自らもっと学ぼうとし、ずっと関心を持ち続けるようになったのは、事件以後だ。
障害者と呼ばれる人に接したことがあっても、接しただけで、その世界観というものを腰を据えてじっくり考えたり、どんな歴史と思想のなかに置かれているのかを真剣に考えたことがなかった。
上っ面を撫でて、わかった気になっていただけだった。
それまで見えていた世界の外にも世界があったということだ。
その世界は、効率性や即時性、生産性、とはまったく違った。
すぐに「わかる」ことができない。大勢のひとに、媒介することもできない。
言葉の世界での思考回路に変換すると間違う。
わからない。わからない。でも、見えていた範囲の外にも世界が「ある」ことだけは、なんとか飲み込めてきた。
4年も考えて、まだそのレベルなのだ。
例の事件では、考えるべき論点がたくさんある。
詳しく知りたい人は
渡邉琢2020「相模原障害者殺傷事件の刑事裁判を通して語られたこと」 『賃金と社会保障1759.1760号』旬報社
でよく整理されているので、国会図書館に文献複写依頼などをして読んでほしい。郵送できるし。出たばかりだから、雑誌にしては高いけれど、新刊書店で注文して買うこともできる。
杉田水脈が「生産性」という言葉を使ったとき、抗議した人がたくさんいた。
わたしはまだ「生産性」のことを考えている。
「生産性」でどれほど不自由に、暴力的にならざるを得ないのだろう。
一見、人に自由をもたらすように見えるそれらには、「外」を見えなくし、知らず知らずに狭い範囲のものをすべてと思い込ませる不自由さがあると思う。
どうやったら、自由になれるのだろう。
わたしは不労所得者ではないから、労働をしなければ生活ができない。労働をしなくてもなんの不都合もない身分なら、労働現場で「効率性」や「生産性」を求められることもなく、「外」に置かれた世界のことを忘れて、自分のあたまのなかでいくらでも自由になれるのだろうか?
わからない。
けれど切実で大切なことだと思う。
だから考えずにはいられない。
何度でも言葉にしてしまう。