子どものころ、親に大きなゴミ袋を渡されてぬいぐるみやおもちゃを全部捨てたことがあった。
そのときにはもう、一番大切にしていたキティちゃんのぬいぐるみを親に勝手に捨てられてたから、どんなものでも所詮はモノなんだとわかっていた。
言われるがまま自分で袋に詰めて捨てたら、どんなに好きで大切にしていたものでも捨てられることに気づいて、白けたようなさみしいような気持ちになった。
その後はそんなことも忘れて、かわいいものや玩具は無駄なものだと考えて生きてきた。
だから、どんなにかわいいと思っても用途のないものには買うという選択肢が浮かんでこなかった。
それが少しずつ変わって
クリスマスイヴの日、わたしはおもちゃ売り場をウロウロしていた。
わたしは小さいころ捨てられてしまったあのキティちゃんに似ているぬいぐるみを数日前に見つけて、ずっと考えていたのだ。売り場で見つめては離れて、見つめては離れてしていた。
細部は違えどカラーリングが似ていた。
迷った末、クリスマスプレゼントを買いに来たファミリーに囲まれて、すこし恥ずかしく思いながらわたしは列に並んで自分のためにぬいぐるみを買った。
買ったとき、すこしだけ感傷的になった。
わたしはわたしのためだけに無駄なこともできるようになったんだと。
もしかしたら、わたしのなかの無駄な部分も愛するということなのかもしれないかと思った。