k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

わたし文通日記3

親愛なるサクラさんへ

 

返信に間が空いたことをお許しください。

この約二週間、わたしはただ無気力に布団のなかにもぐって、ひたすら広告を見てタップしてペンギン増やすだけというつまらないアプリゲームをすることしかできていませんでした。

どうしてでしょう。

休んでいるはずなのに時間が経てば経つほど気力が失われていくように感じていました。

なにひとつやりたいことが見つからず、反対にやりたくないことは山のようにありました。

 

前回のお手紙で、今の問題点を少し話せたらいいということでした。

もしかしたら、わたしは考えすぎなのかもしれません。

最初の手紙でも書きましたが、タガの外れたようになって苦しい思いがどんどんあふれるのが止まらなくなっていました。

前回の手紙のころ、わたしは毎日、紙のノートに執拗に振り返りをしていました。それでスッキリするということはありません。

ただ、そうせずにはいられないからそうしていただけです。

 

もしかしてそれが問題だったのでしょうか?

どう思いますか?

 

マルタ

 

 

◇◇◇

 

 

親愛なるマルタさんへ

 

お手紙ありがとう。

 

最近考えるのは、わたしたちはやっと休む準備ができはじめたのではないかということです。

休職してすぐのときは激務のない生活に耐えられず、そわそわして予定を詰め込みました。

それと同時に自分のケアができず、他人のケアばかりしていました。

ひらがなも読めず固形物も取れず眠れないくらい疲れ果てていたのに、更に疲れるようなことをしていたのです。

でも限界が来て、たくさんたくさん努力してそれをやめました。

そうしたら、時間ができました。

暇になったマルタさんは、その分今まで棚に上げていたことをとことん考えてしまったのですね。さまざまな苦しいことを。

 

無気力になったのは、悪いことではないと思います。

少なくとも眠っている間は休めるからです。

 

無気力は余裕ができる前段階なのかもしれないと思います。

わたしは考えすぎることをやめ、かわりに新しいことをはじめました。

英単語の学習アプリです。

目標もないし英語学習も好きではなかったけれど、そのアプリをやっている間は他のことを考えません。わたしはいつもスマホを手放さないのでスキマ時間にできるのも魅力的です。

滅入ってしまいそうなとき、こうやって気を反らせることのできるような小さな習慣を増やしたいと思います。

 

考えるのは、考えることができるときにしましょう。

自分を傷つけない程度に、余裕があるときに。

それが今必要なのだと思います。

わたしたちは、きっと気力を貯めておく袋のようなものが破けた状態なのです。

考えすぎると、その破れ目がさらに広がってしまうかもしれません。

休みながら、その破れ目が自然に回復していくのを待ちましょう。

 

サクラ

 



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