k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

馬鹿で愚図でのろまと言われていた話。

タイトルのように罵られていたのはそんなに昔のことじゃない。とゆーか、一年前の話だ。

職場で行動がめちゃくちゃになってしまった人がいて、その人によくタイトルのようなことを言われていた。

 

でも、思い返してみれば私の人生ってわりとずっとそのような意味のことを、ときにストレートに、ときにやんわりと言われ続ける人生だった。

とゆーのも、子どもの頃からわたしは言語理解能力はそこそこあるが、なにか作業をやらせると人を苛つかせるレベルでのろくて手際が悪かった。

言語理解能力がそこそこあるというのがやっかいだった。

話してみると頭の出来はそこまで悪くないように思われるが、作業をやらせてみるとあまりに出来ない。わたしと相対した他人は、わたしのこのちぐはぐさをうまく飲み込んで消化することができなくて、そこに己への悪意すら読み取ることがしばしばだった。わたしに悪意は全くなくて、ただ単に能力が凸凹していて、愚図でのろまで馬鹿であるだけだった。現実は厳しい。

この結果は成人してから受けた心理検査でも裏づけられてしまった。特に生きやすくなったわけでもなく、わたしが確信を深めただけだった。

 

「なんでできないの?」と問い詰められるが、そこにある答えは「わたしが愚図でのろまで馬鹿です」でしかなかった。最終的にそう言わされたことも何度かあるが、できれば問い詰めないで欲しかった。ただひたすらに不毛なので。

もう少しわたしに度胸があり立場も強かったら、「お前の世界が狭すぎるせいだ」と言えたかもしれない。まあ、言わないけど。

 

解決方法は特にない。他人がわたしに耐えて慣れてもらうまで図太く待つか、わたしが適応するか、その前にわたしが死ぬかの三択である。最近は死にたくないと思っているので、実質は二択である。

ああ、困っちゃったな。言語理解能力がそこそこあるといってもしゃべりや作文で身を立てる立場にないので、この険しい二択から逃れられる日は来ない。

ふだんはつらいから忘れてる。

今日は久々に思い出しちゃった。

現実は厳しいね。