k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

確信はないから無視できると思っていた

わたしはわたしをどう定義しているか?という問いにいまだ答えられない。

かなりしぶしぶ「ノンバイナリー?というのかもしれない」とあいまいな言い方をするので精いっぱいだ。

わたしのなかに確信はない。

確信はないから、無視できるとずっと思っていた。

 

なにかがおかしいと気づいたのはいつだったのか、わからない。

その感覚の芽のようなものが出てきたときはとにかく押しこめて忘れて、押しこめて忘れて、と繰り返してきたからだ。

ただ二十歳前後のときに「Xジェンダーなの?」と人から聞かれたことを覚えている。

そのときは否定した気がするが、でもやっぱりそのようなものだったんだろうと思う。

 

なぜ否定したのか。

わたしはトランスジェンダーと名乗れる人は、移行したいという希望がはっきりとあり、生まれたときに割り当てられた性別とみなされることが一秒でも耐えられないという明白な苦痛があり、そうした希望や苦痛があることを躊躇いなく言える人なのだという思いこみがあった。

わたしにはそうしたものはなく、漠然とした違和感としか言いようのないものだけがあった。

だから、自分がトランスジェンダーのはしっこに引っかかるという考えを持てなかった。

 

感覚があいまいだったので、押しこめておけば忘れていられるし、時間が経てば解決するだろうと考えていた。

でも、何も解決しないまま時間だけが経った。

どうやってもこのあいまいな感覚は消えない。

消えないということだけがわかってきた。

たぶん人生の半分以上、このあいまいな感覚はなんだろうと思い続けている。

 

「ホルモンをしたい」とか「オペをしたい」とか迷いなく言えたら、実行できたら、それを根拠に自分が何者であるかに確信を持つことができるのだろうか。

わたしが何者であるかについて、根拠になるものが、ようよう言葉にできないわたしのあいまいな感覚でしかないから、なにもわからない。

風前の灯のような頼りない感覚なのに、けっして消えないシコリ。

これはなんだ?


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人生がわからないと思いながら散歩をしている

春だ。

あたたかい。

なので冬眠から目覚めたクマのように森を徘徊している。

 

ここ最近は調子がよく、毎日夜に寝て朝に起き食事をし、なんらかの用事で外出するなどをしている。

用事がないときは、「ひま」という感覚があり、人生に思いを馳せていたりする。


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個人的な感覚だが、調子が悪いときは調子が悪いことでとても忙しくなる。

血液は鉛のようになり、縫いつけられたように布団から起きあがれない。

だから、「ひま」という感覚がない。

逆に言えば、「ひま」感覚の有無は調子のよさのバロメーターと言えるだろう。

散歩をしているとき、これが余暇というものか、と思う。



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心身に余裕ができたので、今後のことについて考えている。

もう十分休んだので動きだすときだろう。

今がわたしの人生の岐路というか転機になる可能性がある。

でも、人生の選択などわからないしどうすべきか誰かに相談するものなのだろうかなにもわからない、という戸惑いがある。

そこではた、とわたしには人生について考えたことがなかったと思い返すに至った。

 

いつも「いまこの瞬間」の短期間をどうやり過ごすのかということしか考えられず、長期的な展望など無いに等しかった。

人生をどうしたいとか、将来とか、そんなもののことまで考える余裕がなかったのだった。

目の前にある不安、焦燥感、自信のなさから追い立てられるように行けそうな場所に行く、というような消極的な選択をしてきたのではないかと思う。


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人生を考えるときに、様々な観点があるだろう。

そのひとつに、己のジェンダーアイデンティティ(いまだに謎)もある。

わたしはいま職探しなどをしているが、他人の身体のプライベートゾーンにふれるような直接介護職から離れようとしている。

なぜなら「同性介助」が前提とする強いシスジェンダー性とバイナリ性、ヘテロセクシュアル性に耐えられないから。

介護の本質である人と接すること、ケアのために観察すること、日々の生活を維持していくだけの生産性と離れた価値観は嫌いではなかったが、わたしはあの現場が自明にしている前提が根本から変わらない限りもう戻らないだろう。

このことを考えると、胸が痛くなる。

ひとが否応なしにその身体の最もプライベートな介助を他人に頼らねばいけないとき、安全とされるものは、結局はシスジェンダーかつヘテロセントリックな価値観に基づいているのだと思い知らされる。

わたしはそこで働いていたが働いていける人間ではなかった。

わたしが適応障害になるのもやむなしだったのかもしれない。


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小説「ムカつくものはぜんぶ食べる」

なんだか世の中ムカつくことが多すぎるとアキは常々思っていた。

ムカつくなあと思うたびに腹の底にグツグツと煮えたぎるものを感じ、それはまるで活火山のマグマのように熱かった。
あまりの熱さに胃がシクシクと痛んでアキは夜ごと泣いていた。腹が燃えると全身どこもかしこも痛かった。

そんなある晩、トイレの冷たい床にへたり込みながらふとひらめくものがあった。
マグマはなんでも溶かして燃やしてしまう。
自分も腹の底に小さくて強いマグマ溜まりを所持している。
こいつでムカつくものを全部溶かして燃やしてしまおうじゃないか。

そういうわけでアキはムカつくものを全部食べることにした。


まずはじめに職場のパワハラ上司をアキは食べた。
ある朝、いつもどおりに出勤し無理難題を押しつけられ、いつもどおりにできなかった。無理難題だから当たり前である。
いつもどおりではなかったのは、すっかり油断していたパワハラ上司がいつもどおりにヒートアップしてアキをなじろうと「お前はさあ」と言いかけたときだった。
上司の口が「お前」の「お」の形になったときに、アキは上司よりもさらに大きく、ほんとうに顎が外れるかと思うくらい大きく口を開けて上司を頭から丸飲みしてしまったのである。
上司の髪の毛が喉に引っかかって不快感を覚えたけれど、おおむねスルスルと飲み込むことができ、上司は無事にアキの腹のなかで燃えて溶けた。
アキは満足した。
パワハラ上司がいなくなると、不思議と職場はなごやかな雰囲気になり陰口もなりをすませた。
けれども、やっぱり労働は鼻くそだなとアキは考えた。

そうしてアキは休職届を職場に叩きつけて、家に帰った。後日適応障害の診断書を取り、パワハラで労災申請をすることも忘れなかった。

アキが会社に行かなくなったころ、一本の電話がかかってきた。
それはアキの数少ない友人で、友人はアキが電話にでるやいなや大げさに嘆いた。夫の愚痴を言い、職場の愚痴を言い、アキの知らない友人の愚痴を言い、関係性のよくない両親の愚痴を言った。その友人は、いつも急に電話をかけてきて、毎回長々と愚痴を言い、アキがそれに一生懸命に相づちを打つとすっきり満足して一方的に電話を切るのだった。
アキはそれでも友人だからと犬のように喜んで電話に出ていたけれど、回数が重なると疲れるし自分って感情のゴミ箱なのかなと悲しくなってしまう。
しかし、上司を丸飲みにしたアキは強かった。悲しくなる隙なんてなかった。
電話口でアキは言った。
「私はもうあんたの愚痴にうんざり。今からあんたを食べてやるから」
そうして、アキは電話を一方的に切ると、紙をヒトガタに切ってそこに友人の名前と電話番号を書いて、ぐしゃぐしゃに丸めて飲んだ。
その日からその人間から電話がかかってくることはなかった。
アキの腹の底は燃えていた。

 

アキはなんでも飲んだ。
税金の値上がりのニュースの切り抜き、オリンピック公式キャラクターが印刷されたチラシ、世界的におそろしい感染症が大流行しているさなか配られたカビの生えたガーゼマスク、差別発言を撒き散らすインターネットの無数のアカウントやTweet、トイレでジロジロ見てくる人間。

アキが飲み込むと世界からアキのムカつくものが消えた。
アキの血は沸騰していた。
近ごろは血色もよくなり、根気とやる気が出て、多幸感に包まれた。

 

ある日、アキは鏡を見た。
そこには愉快そうにギラリと光る目の赤鬼が映っていた。そのときアキはなりたい自分になれていたことを悟った。
そう、アキはずっと鬼になりたかったのだ。
アキは赤ら顔でガッハッハと大きな声で吠えるように笑い、豪快な放屁をしてから世を脅かすために空を飛んでいった。

ぬいぐるみを買った

子どものころ、親に大きなゴミ袋を渡されてぬいぐるみやおもちゃを全部捨てたことがあった。

そのときにはもう、一番大切にしていたキティちゃんのぬいぐるみを親に勝手に捨てられてたから、どんなものでも所詮はモノなんだとわかっていた。

言われるがまま自分で袋に詰めて捨てたら、どんなに好きで大切にしていたものでも捨てられることに気づいて、白けたようなさみしいような気持ちになった。

その後はそんなことも忘れて、かわいいものや玩具は無駄なものだと考えて生きてきた。

だから、どんなにかわいいと思っても用途のないものには買うという選択肢が浮かんでこなかった。

 

それが少しずつ変わって

クリスマスイヴの日、わたしはおもちゃ売り場をウロウロしていた。

わたしは小さいころ捨てられてしまったあのキティちゃんに似ているぬいぐるみを数日前に見つけて、ずっと考えていたのだ。売り場で見つめては離れて、見つめては離れてしていた。

細部は違えどカラーリングが似ていた。

迷った末、クリスマスプレゼントを買いに来たファミリーに囲まれて、すこし恥ずかしく思いながらわたしは列に並んで自分のためにぬいぐるみを買った。


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買ったとき、すこしだけ感傷的になった。

わたしはわたしのためだけに無駄なこともできるようになったんだと。

もしかしたら、わたしのなかの無駄な部分も愛するということなのかもしれないかと思った。

自由になりたい

このブログ全体を指して「トランスジェンダーのブログ」として読まれることに戸惑いがある。

わたしにとってこれはただのブログで、トランスジェンダー的なトピックを選んで書いているわけではないからです。

それは読んで見ればわかるでしょう。

このブログ全体で見ると、トランスジェンダー的な内容のエントリはほんとうに少ない……。

 

最近また、「己を大切に」ということについて考えている。

わたしにとってそれは矛盾をはらんでいる。

わたしを大切にしたくないわたしがいて、わたしがわたしを大切にしようとするとそいつが不機嫌になるのだ。

そいつは、わたしが不快で苦しんでいて我慢してると安心する性質がある。そういう状態に慣れているからだ。

なんともしがたい……。

 

でも、このままではいけないとも考えている。

できる範囲で自分を大切にする自分に変わろうと思った。

具体的イメージはまだむずかしく、やりたくないことも多く、だから目に見えてわかりやすいところから手につけることにした。

すなわち、自分のケアをすることと自分のための無駄にお金を使うことにした。

かわいいおもちゃを買う。

髪の毛にオイルをなじませ丁寧に乾かす、肌の乾燥を防ぐためにクリームを塗る、お風呂にもしっかり入り歯を磨く。余力があれば苦手なストレッチをしてみよう。


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どうして、こんなにも自分のケアが苦手なのだろう。いじめるのは得意なのに。

その根っこにも、また例のアレ、ジェンダーが絡まっているように思える。

わたしはとにかく“女性”ではないのだから、女性性の否定をしなければいけないと考えていた。

だから、かわいいものを好きでは矛盾しているし、スキンケアも男性っぽくないからしない。ストレッチは極力意識したくない身体を意識するはめになるからしたくない。

どこかでそう考えていた。

CIS-TEMを呪いながら、とらわれ呪われていたのだろう。

ほんとうはなにをしてもいいし好きでもいい。おそらく。ちょっとインフルエンサーを見るだけでも世界はどんどん多様化してきている。気にする人はほとんどいないだろう。気にしているのはわたしだけだ。

 

自分を大切にすることは、自分を大切にできないことと向き合うことだった。

 

自由になりたい。

自由になるとはどのようなことだろうか?

まだイメージができていない。

動物園に行った

すごく寒くて木がいっぱい生えていて広大な動物園だった。

途中、人間用の遊具が置かれている箇所があり、たくさんの小さな人間が遊具に登ったり揺らしたりして甲高い声をあげて遊んでいたので、これまで見た動物のなかで人間が一番元気だなぁと数秒間足を止めた。

 

ゆっくり歩いて見て回り閉園時間が近づくころ、チンパンジー舎にたどり着いた。

チンパンジー舎には、こういう解説があった。

チンパンジーはサルではありません。人間と共通の祖先から別れた類人猿で、人間にもっとも近い生き物です」


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なるほどと思いながら見上げると、大人と思われるチンパンジーと目があった。

それは昼間部屋でじっとしてるわたしと全く同じ姿勢で見上げるわたしを観察していた。

 

チンパンジー舎には屋外もあり、生きてる樹木と人工物の樹木とロープが混在していた。

よく見ると、生きてる樹木には一定の高さより上には登れないよう鉄線が張り巡らされているのであった。

チンパンジーが逃げないようにだろう。

あたまのなかに「人に近い生き物です」という言葉がよみがえる。

その文意はチンパンジーという生き物へ敬意を持ってほしいということと、人間もまた動物であるということを強調するということだと思う。

動物園で展示されるわたしを想像した。

死ぬ心配はないけれど、自由はない。

生殖を管理される。

たえず人間に物珍しげに見られる。

そんな人間を見つめ返すくらいが唯一の楽しみかもしれない。 

 

動物園の使命のひとつには、希少動物の保護があるという。

命の保護と管理は同じことなのかもしれない、ああそれはいままさに生きてる人間にも起きている、と思った。

展示されないまでも。

 

わたしが言葉を失っていたころ

Twitterでは何度か書いてるがわたしは思春期のころ、限られた人としか会話できずほとんどの人に対して「あぅあぅ」としか言えなかった。

 

「あたし、あんたをいじめたいわけじゃなくてふつうに話しかけてるだけなんだけど」って話しかけられても、うめき声しか出せないわたしに対して相手がイライラして冷たい目をしてきたのをよく覚えている。

相手の怒りにふれて、わたしはますます固まって冷や汗をかいて縮こまることしかできなかった。

そのころのわたしは、ほとんどの人間がほんとうに心からこわかったのだ。

そして、作文も何を書いたらいいのか、書き方もわからなくて書き上げたことがなかった。

 

つまり自ら主体的に人と交流するための言葉がなかった。

カチコチの石みたいに黙ってるしかなくて、実際わたしは「壁」と陰口と叩かれてた。

 

あのときのわたしは、なんだったんだろう。

人とコミュニケーションとれない存在は、存在していないようなものなのだろうか。

 

外の世界とうまく交流できなかった反面、わたしのあたまのなかには世界が広がっていて、そこに引きこもってわたしはかろうじて息をしていた。

やがて、わたしはインターネットとわたしの内面の世界を接続させるようになっていく。

はじめはインターネットに日記を書くところから……次にメル友との頻繁なやりとりで人間との会話の仕方を……最後に現実世界で徐々に話せる人の範囲を広げるようになっていった。その後から現在までは、ほんとうにありとあらゆる方法で人の話を聴いたり、話したりする技術を学んでる。

今のわたしがそれなりに社交できて言葉を使っているように見えるとしたら、訓練したからだ。


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今もわたしのなかには人間を怖れ「あぅあぅ」としか言えなかった子どもがいる。

 

折にふれて思い出す。

あのなにも言えなかったし書けなかった時代を。

そのときもわたしはいた。

言葉で己を表すことができなくても、存在していたのだ。

ひとりで内面に大きな世界を抱えて。