私は生理が嫌い。
痛いし、だるいし、めんどいし、なぜ女体に生まれただけでこのような苦行を定期的に課されなければならないのか、理不尽だ。だって、男体に生まれた人はこんなものなくたって、身体に問題なんて起こらないじゃないか。
好きだったことなんて一度もない。
なくなれ、と思う。
けれど、生理を恥ずかしく隠さなきゃと思ったことはない。
ずっと不思議だったことがある。
どうして生理は恥ずかしいこと扱いされるのだろう?
ドラッグストアでナプキンを買うとき、必ず紙袋に入れられて、その上に特別な色の濃い不透明なビニール袋に入れられて渡される。
人の目にふれないよう細心の注意を払って厳重に包まれるさまを、私はいつも不自然で大げさに感じる。
どうしてそこまで隠すのだろう?
だって、ただのナプキンだ。
ティッシュを買うのと変わらない。
くしゃみをしたとき、ティッシュで鼻をかむ
けがをしたとき、絆創膏をはる
生理になったとき、ナプキンをあてる
みんな、おんなじことだと思う。
バイトで生理の日、いちいちロッカーに取りに行けないのでポケットにナプキンをねじ込んでその日は過ごした。
「みえているよ」
先輩の女の人が教えてくれた。
見れば、ポケットからほんの一センチくらい、白いナプキンのはしっこが覗いていた。
これがハンカチだったら、これがティッシュだったら、同じように言われただろうか。
生理のこと、別に声高に言うことでもないけど、こんなに隠すのは変だと思う。
生理があるのは、おかしなことじゃないのに。
一部の男性が生理をひわいな目でみるらしいということは知っている。
Twitterで射精と同一視しているらしい人のつぶやきも目にした。
知らないから、そんな目でみるのだろうか?
いいや、たぶん違う。
無知だからじゃない。そういう目でみたいからみるのだ。
女性の性器というのは、彼らにとって性的なオブジェクトなのだ。
存在するだけでひわいだと思ってる。
だから、ちつから血が出ることも、ひわいなことだと思っている。
ひやかすような、エロ本をみるような目で、女性のサイクルをみている。
同じ人間に対する、あって当たり前な身体機能、という視点はない。生理は彼らを興奮させるオプションだと思っている。
女性を人としてみていない。
そういう人は、生理のない身体が「標準」だと思っている。
生理のあるからだ
生理のないからだ
そこに優劣なんてないはず。どっちも「標準」だ。
でも、それがわからないから、生理のあるからだを特別な色眼鏡でみている(有徴化している)
あたりまえなものを、あたりまえじゃないもののように見るゆがんだ下衆な視線がなくならないから、生理は隠される。
生理や生理に関係する話題、ナプキンにはばかりがあるように、隠したり、声をひそめたり、そういうふうに扱われるたびに、生理は性的な色合いをおびる。
わたしの身体、生理のあるからだが、性的なオブジェクトとして貶める視線とつながる。
ナプキンは、ティッシュだ。
それをひわいな目で、隠さなきゃいけないようなものとして見るのは、間違っている。
おかしいのは、生理そのものじゃなく、それをゆがんだ視点で見る方だ。
すべての人が女性を対等な人として見ていたら、生理を隠すようなことなんて、きっとなくなるのに。