花見に行ってきた。
菜の花と椿と桜。たのしげにする親子連れ。
のどかな風景だ。
夢のようにうつくしい。
この森は人権の森と名づけられている。
私が花見に行ったのは、東京の多摩全生園だ。
多摩全生園とは、全国に13あるハンセン病療養所のひとつである。ハンセン病資料館も併設されていて入館料も無料だから、アクセスできる場所にいる人にはぜひいちど行ってもらいたい。西武池袋線清瀬駅からバスで10分くらいの場所だ。
広い敷地は、緑深い小村のような雰囲気がある。ジブリ映画のようにどこかなつかしい気持ちになるかもしれない。
かつて、この場所では、口にするのもつらい強制隔離収容が行われていた。
入所してまっさきに行われるのは本人と所持品の“消毒”。クレゾール消毒液の風呂に入れられたのだ。資料館には無残に白い粉だらけになった着物と風呂敷包が展示されている。
療養所内では、本名ではなく偽名での生活を余儀なくされた。
死にゆく人のための火葬場も納骨堂(死してなおも故郷に帰れなかった人々がいらっしゃる)も各種宗教施設もあるけれど、子どもは決して生まれないように、結婚の条件としての断種を強制された。断種までして結婚しても、大部屋なのはかわらない。夜に忍んで行っても、部屋にはおおぜいの人がいて、夫婦と他人をわけるのにたよりなく小さなついたてがあるだけだ。それでも宿った奇跡のような命も、芽のうちに摘まれてしまった。
96年に優生保護法とともに、らい予防法は廃止された。
けれど、後遺症や高齢化などさまざまな事情で、いまもここで暮らす方々がおられる。
ところで、ハンセン病療養所の入所者のなかには、詩や短歌といった文芸活動に打ち込んでいる・いらっしゃった方々が大勢いらっしゃる。
ブログの締めに、ハンセン病資料館内の図書館にあった自費出版の歌集からいくつか詩をひいておしまいにする。
この歌集は著者の芳枝さんの死後、夫(すみません。名前をメモって来るの忘れた)が編んだものだ。この夫婦も園内での結婚だった。
子を持つことが許されなかっただろう。子のかわりに猫をかわいがるような歌もあり、その思いが偲ばれる。
籟園に死するさだめと知らざりし……という歌は、芳枝さんの夫が結婚後に妻の故郷を訪問した思い出(ご本人は療養所にいることが近所に知られていたので、差別のせいで故郷にいけなかった)の歌だ。夫は芳枝さんのご家族に歓迎されて、彼女の妹と写真を撮った。その写真をみて、芳枝さんは歌を詠んだ。その瞬間は健康で輝いていた芳枝さんの妹も、のちにハンセン病にかかり、療養所で亡くなってしまう運命にある。
たはやすく落つる涙かしっとりと濡れし枕のいきどほろらしも
盲ひたる人の友とし生きむかな心たひらかに今日も朗読しぬ
この朝が最後よと君が結ひくれし髪は惜しみて永く解かざりし
交はり絶ちて三十余年会ひたかる友ありてひそかにわが村に入る
籟園に死するさだめと知らざりしセーラー服の妹が夫に凭り立つ
われもまた健やかな手を持ちたりし余りに遠く過ぎ去りし日よ
かつてわが住みたる家はかげもなく枯芝の中によもぎ萌えをり
光岡芳枝歌集
『みづきの花』
昭和五十二年七月二十五日
光岡芳枝