k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

詩をひさしぶりに書いた。

 春夏秋冬、具合がよくない。

 春は花粉症で大変だし、夏は薄着の季節でどうしたって自分の身体が目に入る。秋は天候と連動するように情緒が不安定になり、冬は冬眠したくてしたくてたまらないのに無理やり起こされ続けている亀みたいな気持ちになる。

 

 どの季節だってそれぞれ良い部分はあるのに、余裕というものがうまくできない。

 

 ところで、久々に詩を書いた。

 私は、中学生のころから、ときどき詩を書く。いつもいつも書いているわけではなく、思いついたときに、書けるときに書く。

 最近では、数ヵ月とか一年に一編とか、そんな調子だ。

 誰かにみせることはあまり目的としていない。けど、紙のノートだと紛失するのでWebにアーカイブしている。これなら、私のようなズボラでもサービスの続く限り、管理できる。ひどく寡作だけど。

 

 

 詩作というのは不思議だ。幽霊をつかまえるのに似ている。

 できるときはできるし、できないときはできない。

 自分でもわけがわからずしんどさで破裂しそうな気持ちになるときがあり、そういうときに詩ができると、胸がスッと楽になる。パンパンに膨らんだ空気人形を針で突いて空気を抜いたように、沸騰した鍋に差し水をしたように。

 

 詩の批評のことはなにも知らない。

 けれど、詩を書くことを通して、「今ここ」からちょっとズレたり、自由になったり、そういうことができるかもしれないと思う。

 わからないけど。

 まあ、そうであったらいい。

 

 

 

 

【自由詩】塩でも砂でもないんだし

(くそしにてぇ、という気持ちのときこそ詩がかけますが、「くそしにてえ」という内容のものは書きません。なぜならクソダサくなるから)