k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

自分に課した〆切が来たけどなにも手につけてなかったし、まつうらだいごが余計なことを言ってしまってジョグジャカルタ原則のブログを今書くのが怖くなったのでかわりの日記

トランス排除がひどい。私は昨年の夏から怒りっぱなしだ。

 

差別はやめろ。言えるのはそれだけ。

 

状況の詳しい説明はしない。

私がいろいろ言ったところで、人はTwitterをひらいて「トランス 女性」で検索して、みたい意見をみて、賛成したい意見に賛成するだろう。

 

なぜ、トランス女性の差別に反対するのか。それはこれが人の尊厳の話であり、女性差別の話だからだ。

「真の女性」をジャッジする権限が誰にある?

誰にもない。

 

今の社会は、シスジェンダーしか想定していない。もっと言えば、シスジェンダーかつヘテロセクシャルの人間しか想定していない。

シスヘテロ仕様の社会だ。

そんな社会で生き抜くために、否応なく「努力させられる」人がいる。それは文字通り血が滲む努力だ。滲んでいるどころではない。ドバドバと流れている。滝のように。

だけど、それはマジョリティがしなくていい努力だ。意識すらすることがない。それを特権と呼ぶ。特権はそれを持つものには見えず、持たざるものの目にしか見えない。

 

シスジェンダーの権利、トランスジェンダーの権利。どっちが上とか下とかではない。本来は対立するものじゃない。今の仕組みでは不十分で、より良い施設やサービス、社会のあり方があるはずだ。新しい社会はどういうデザインがいいか、そういう「話し合い」は必要だろう。でも、「排除ありき」「今の仕組みの温存ありき」から逆算した話し合いは必要ない。「排除ありき」の「話し合い」は差別だ。

 

シスヘテ男が偽装して性犯罪云々を言う人へ。そういう悪意あるイメージのドッキングはやめろ。トランス女性の話をするときにその話題を持ち出すな。それはトランス女性が性犯罪であるかのようなひどいステレオタイプを作る。

 

私はこの話をするのがおそろしかった。

Twitterも鍵にしていた。

だって、差別者たちがどんなに楽しそうに差別をするか、知っていたから。

私はレズビアンである。私がレズビアンであることで、複数人からセクハラを含む粘着嫌がらせを受けた経験がある。

 

トランス排除派のシス女性のなかにレズビアンバイセクシャル女性がいるのを知っている。

でも、私はその人たちに言いたい。「トランス女性を排除した次に‘’女性枠”から排除されるのは非ヘテロ女性だ」と。すでにレズビアン女性の性欲は男性と変わらないと言っている人間もいる。

 

それからよく持ち出される「レズビアンにセックスを要求し断られたら差別だと騒ぐトランス女性」。そういう存在がいるかどうか私は知らないが、相手の属性がなんであれ「セックスを断ったら差別だ」というのは変だ。それは相手がトランス女性だからではなく、相手がシス女性のレズビアンだって嫌だ。顔がタイプだろうがなんだろうが嫌。嫌という気持ちを無視してされたなら、それはレイプで、属性云々という次元の話ではなくなる。

ふつう、セックスは相手と自分との合意によってのみなされる。そして、「したい」より「したくない」の方が優先される。めちゃくちゃ基本の話だ。

シス女性のレズビアンのなかにもレイプをする人間はいる。でも、シスレズビアンぜんぶがレイプ魔ではない。そういうことだ。

今後、私に「トランス女性を擁護をするってことは、トランス女性にセックスを求められたら絶対断らないってことなんですね?」というふざけた質問を寄越す人間がいたら、「この人はセックスを(性的指向の対象とする性別の人から)求められたら絶対断らない人なんだな」って思ってブロックする。その質問はセクハラだから。まあ、すでにそういう質問を何度かされたことはあるけど、控えめに言って下衆だなと思う。