k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

名前が変わった

たぶん数日前に正式にわたしの戸籍名が変更された。

2025年の5月に戸籍に読みがながふられるということを知って、わたしは昨年にあらかじめ読みがな変更を届け出ていた。

漢字は変えなかったので手続きは簡単で最寄り自治体の窓口に行き変更届を出すだけでなんらの証明も必要なかった。しかしながら、その時点では戸籍に読みがなは登録されていなかったので、名前の変更を示す正式書類も存在せず、関係各所に名前の変更もせずに過ごしていた。

(※2025年の5月以降は名前のよみも戸籍に記載されるので、よみだけの変更も家裁を通す必要があります)

 

現状のわたしの名前はごく一部の友人だけが知っている状態で、しかしながらその友人たちもわたしがインターネット上で使っている名前でわたしのことを呼ぶので、今のところわたしの名前が実際に使われることはないです。

親にも名前が変わったことを言ってないや。

 

この冬にも胸オペの手術が予定されており、職場にも手術とその後のしばらく休職すると申し出た。

なにかよくわからないうちに人生は進んでいってて、なんかもうふつうに“トランス”って言ってもいいような段階に入って来たが、その実感はない。

自分がなになのかまだわからないしこの先もわからないままで、そんなふうにわからないままぼんやり生きていくんだろうなと思っている。

自己紹介がずっと苦手。昔からそう。

クィア当事者だけの交流会のホスト側のスタッフをしているが、自己紹介タイムで全然自分のセクシャリティとかジェンダーとか言ってない。最近は概念が細分化して様々なカテゴリーと名前があり、無理やり分類すればそのどれかには当てはまると思うが、当てはまりそうな概念があってもその言葉を使って自分を説明しようとは思わない。最近のニッチな単語を言えば説明できた感じになるのが不自然な感じがする。

でもなんかの会話の拍子に手術するんだよねって言ったりはするので、隠してるわけでもない。

もしかしたら数十秒の自己紹介で自分がなにものかを説明し、わかり、わかられをしようとするのが無理なのかも。わたしだってわたしがなんなのかいまだにわからないのによ、説明できるわけない。

 

ただ、ここにいる人間。

この人間がわたしです。

わたしがなにものかは付き合っていくうちにそうなのかも?という像をあなたがたのなかに各々作っていっていただければと思います。

そういうスタンスで生きている。