「ホモ」という言葉をめぐるあれこれが、ツイッターのTLで流れていた。
BL愛好家が「ホモ」ということばを使うことに対して、「ホモ」が差別的文脈で使われていたことを無視して使うのはよくない、というそういう話だ。
詳しくはリンク先をみていただければと思う。
ついでにこっちも。
この手の議論はもうやりつくされているし、とくに私から付け加えることはない。
じゃあ、なぜわざわざ「ホモ」という言葉を話題にしたのか。
実はつい先日、私のきょうだいが「ホモ」という言葉を使った。同性愛を嘲笑する文脈で。
私の心はスッと冷えた。きょうだいのことは好きだ。「ホモ」という言葉が日常の中で決して珍しいものじゃないことも重々承知している。こんなことはよくあることだ。
だけど、「ホモ」という言葉がカジュアルに、「ふつうでないもの」を扱うような一種の嘲笑を持って使われたら、私と「ホモ」という言葉を使った人の間に見えない壁ができるような気持ちがする。私はその人のことが好きでも、その人が悪人でなくても、たぶんその人も私のことを好きでも、その人は私の一部を差別したな、と感じる。
私は「ホモ」という言葉を使ってほしくない。いくら理屈を積み上げられても、もともとは「同じ」という意味の「homo」が語源だとしても、「ホモ」がいつもどういう場面で、どのように使われているのか、知っているし、なくせないから。「ホモネタ」はいまだに日常だから。
高校生のとき、好きな女の子がいた。同じ部活の仲間だった。その部活は腐女子が多かった。私はBL嫌いじゃないけど別に買って読むことも作ることもしていなかった。部活の仲間はいい友達だった。だけど、みんな「ホモ」という言葉をすごくよく使っていた。BLを愛好しながら、私が「ゲイ」という言葉を使うと変な顔をした。「ゲイはガチだろーww」みたいなことを言った。教室で「同性愛」という言葉を私が使うと、声をひそめるように、とたしなめられた。
腐女子の友達のなかで、私の属性は隠語のように扱われた。私の属性がわいせつ物として扱われている状況は、私しか気づいていなかった。腐女子の友達はみんな何も知らず無邪気だった。知らない間に、私は傷つけられていた。
ほんとうは「ホモ」という言葉を友達に使ってほしくなかった。だけど、私は何も言えなかった。私はその子たちにはカムアウトできなかった。「ホモ」という言葉一つで、友達がすごく遠くに感じた。「ホモ」という言葉を辞めてほしいと言うためには、カムアウトしないと説得力がないけど、「ホモ」という言葉をたくさん使う人たちにカムアウトはしづらかった。
「ホモ」みたいな、人を嘲笑するニュアンスを含んだ言葉はすごく疲れる。いちいち反応するのも難しいほど日常にあふれているし、「その言葉を使わないで」と言いたくても、そういう言葉を使う人はまるで悪いとは思っていないから、ものすごく大きな前提を覆す必要があるわけで、私にそんなエネルギーはない。だから抗えなくて、嫌な言葉を前にしてもなにもできずに「黙認」するしかない。でも、嫌な気持ちがなくなるわけじゃない。じわじわ、消耗し、やり場のない悲しい気持ちがどうしようもない不良債権として心に刻まれていくだけ。
私はそれがすごく悲しい。
おわり