k-zombie’s diary

ツイッターにおさまらないことなど

こころがゆるむ瞬間

今これを服薬後に書いている。だから脳がぱやぱやしてる。誤字脱字誤変換あっても容赦してください。

 

わたしは長らくひとり酒を己に禁じていた。アルコールは理性をゆるませる。すると、いつもはギュッと抑圧してる衝動性が浮上し「自傷他害おそれあり」状態になってしまうのだった。私の場合は自傷に全振りで、それが顕著だった時期があり、あやうく落命しそうになることがひんぱんに続いた。ひとり暮らしでひっそりやってたから通報されなかったが、誰かに見られてたら措置入院コースだった可能性がある。

意思とは関係なくそのような衝動が強くなってしまうこともある。

まだ死にたくねえ。自分に殺されるなんてやだなあ。

ということで、飲まなきゃやってられなかったがそれでも無理やり禁酒していた。

 

数年かけてストレスのもととたもとをわかち、少ない自尊心にセッセっと水と肥料をやり、気がついたら友だちがふえていて、わたしはまた飲酒をするようになった。

今度は「自傷他害おそれあり」状態にはなっていない。すくなくともすぐに命の危険を感じるほどには。

 

がんばったなあと思う。

わたしはわたしを祝福したい。

 

 

 

ぬいぐるみの名前を覚えられない

数年前「ぬいぐるみの扱いが雑だからさわらないで」と言われてたことがある。

自覚がなく思いもよらないことで反省した。以後他人のぬいぐるみには触らないように気をつけるようになった。

 

わたしはぬいぐるみの名前が覚えられない。今住んでる部屋には大きなアザラシのぬいぐるみがある。かわいい。ぬいぐるみに名前をつける文化が存在していることを知っていたので、部屋に届いてすぐに名前をつけた。

が、呼ぶことがなかったのでつけたはずの名前をすぐ忘れた。

このアザラシは、わたしがベッドで読書するときの背もたれクッションとして活用されてる。かわいいな、と思うのだけど、物質や道具への気持ちがつよく、愛がもてない。

 

そんな私でもぬいぐるみを唯一無二とし愛しんでいたこともあった。

幼いころ、私はバレーボール大のキティのぬいぐるみをかわいがっていた。ふわふわの白い猫の顔に、赤い布地の胴体。胴体にはビーズがつまっていて、持ち上げるとしっとりと重く、さわるとやわらかく手が沈んだ。他にもぬいぐるみは持っていたけれど、そのキティだけは特別だった。幼い私の注いだよだれと愛の分だけそのキティは薄汚れていた。

 

けれど、ある日突然キティは親によって捨てられてしまった。私に断りなく、気がついたらもうそこに彼女はいなかった。キティを捨てた母は「私も小さなころにプーさんを捨てられたことがある!」と言っていた。なぐさめにはならなかった。

 

キティがいなくなってから、私は部屋にあったぬいぐるみをすべて大きな透明のビニール袋につめて古布回収の日に捨てた。

 

以来、私はぬいぐるみの名前を覚えられない。

毎日検温をする

義務づけられてるから毎日検温をする。途中電子体温計がぶっ壊れて水銀体温計に完全敗北し検温の継続が危ぶまれたが、コネで古い電子体温計をなんとか手に入れて再び検温しはじめる。こいつは古いので脇にはさんでると「ピー」と小さな音で鳴り続ける。毎日労働に行かねばならない私の心の叫びかと思う。

検温してる間、いつも同じほのかな期待と恐れを抱く。「37.5以上であってほしい。そうしたら仕事を休める」と「この時期に発熱で休むなんてしんどすぎる。ショクバで最初の感染者にだけはなりたくない」という相反する2つの思い。

とにかく身体がしんどいときもある。今夜がそうだ。なのに検温すると37度にも届いていなかったりして、がっくりする。こんなにつらいのに休めないのだろうか?

 

労働にはいきたくない。金はほしい。疫病にかかりたくない。普遍的な願いだ。

 

ああ、やだなあ。金はほしい。無限に休みたい。無になって消えたい。なにもしたくない。

 

あとがきのような

魔女じゃなくなるところまで書いてしまった。

すべてフィクションです。

そういうことにして投稿してる。

感想あったらラブレターでもらえるとうれしい。

 

これを書くそもそものきっかけは、私が2年前「魔女になりたい」と言いはじめたことにある。

魔女、世界を呪う魔女。

一番最初の手描きのzineを作りいろいろな人と魔女について話すうちに、そういえば……とあの子のことを思い出したのだ。

私は、かつて魔女と友だちだった。そして、その子のことを好きだった。どうしようもなくすれ違って別れてしまった大切な女の子。

魔女だった女の子のことを友人たちに話してみるようになった。そのなかで、「小説にしたのを読みたい」と言ってくれた人がいた。

私は、気軽に約束した。「うん、やってみる!」

そうして、Twitterに「かつて魔女だった女の子のことを書くことを目標にする」というつぶやきを固定した。

つぶやきを固定したのが今年の2月のはじめのことである。ずっと頭の隅にあり休日になるたびに「書かなきゃ」と思っていたのだけど、思い出すとなにがなにやらわけがわからなくなりなかなか書き始めることができなかった。

「小説」という形式にとらわれて気負いすぎていたのもある。

本文が語りかけるような文体になったのは、それ以外に書きようがなかったというのが本音だ。他のやり方では書けなかった。読んだ人が「手紙」という感想をつぶやいていて、「そうか!これは手紙なのか!」と気づいた。自分ではまったく意識してなかったことである。

「小説」は書けなかったけど「手紙」なら書けた。私はずっとあの子と会いたくて話したかったんだと思う。

けれど、没交渉になってから携帯が壊れて連絡先が飛んだり私がうつになったりで、音信不通になってしまった。

会いたいけれど会えない。それに今お互いに会っても愉快な気分にはなれないと思う。

 

書くうちにもう一度会えた気がした。いろいろと発見もあった。嘘も多いけど、ほんとうのこともある。

 

私はこれを「作文」と呼んでいた。

私は子ども時代、まったく作文が書けなかった。けれど、あの子に恋をし、吐き出す場所が欲しくて携帯サイトに日記を書くようになった。毎日40分ほどかけて千字程度の日記を書いた。そして、あの子とメールのやりとりもした。それまでの人生で原稿用紙の一枚も書き上げたことなかったのに!

今の私が読める文章を書けてるとしたらあの子のおかげが大きいと思う。

こうやって私がまたあの子のことを文章にするのも必然なのかもしれない。

 

ほんとうにあの子は私の人生を変えてしまった。

 

 

日課が増えている

前はひたすら寝ることしかしてなかったのに、最近日課が増えている。

自分ほめ、絵日記、魔女の作文、余裕があったらこのブログ。そして、毎日積もっていく家事。一人暮らしなので私が家事をサボればあっという間に荒廃してしまう。

おそるべきスピードで「やるべきこと」が増えている。

日課とは言えないが労働もある。しかも不規則勤務だ。

このままだと余裕を失って破裂しそうだ。

ああ、でもそれが目的なのかも。ひたすら寝るのも無になるためだった。やることをどんどん増やすのも無になるためなのかもしれない。

ほんとうのところはなにもしたくないのだ。けれど、なにもしないが続くとおかしくなってしまう。

はやく無になりたい。

 

作文をしている

作文をすると2月に宣言してから今は5月。

3ヶ月たっている。

 

やっと書き始めてこのまま進めそうな手応えもするが、しかし作文がわからない。ただひたすらに恥ずかしく痛々しい感じがする。つらい。フィクションも多少あるけどほんとうにつらい。酔った文章になっているんじゃないか。でも、正気ではとても書けない。正気に戻る前に書き上げなければならない。大変だ!

 

かつて魔女だった女の子。

私の人生を変えてしまった女の子。

ずっとあの子のことを考えている。

昔に戻ってしまったみたいだ。

体調がよくない。

気力がないのであまり食べていない。

そこに食材はある。なんならレトルトパウチに充填された惣菜パックが大量にある。

それらをひとつかふたつ湯煎して、冷凍庫にあるご飯をレンジで3分間温めればいい。すべての支度を終えるのに、ものの十分もかからないだろう。

だけどわたしは床に転がって、頭痛と腹痛に耐えることしかできない。

 

数日前、牛乳を買えとのニュースを見た。休校や飲食店の営業"自粛"で、牛乳がダブついて農家が困っているらしい。

私は想像した。生んだ子牛はもうとうにそばになく、乳房が腫れる痛みに耐える牛を。牛の痛みをとめるために、牛乳を捨てるしかないだろうと知りながら、搾乳する赤字の酪農家を。

牛乳がダブついてるのも農家が困っているのも国の愚策のせいである。なぜ権力を持たぬ市民が愚策のフォローをせねばならないのか、と憤りながら牛乳を1パック買った。わたしは乳糖不耐症で、牛乳を飲むと腹が痛くなるにも関わらず。ついでに、フルグラも買った。

 

気力がない。だから夜勤明けに空腹で眠れず、フルグラに牛乳をかけて食べた。空腹で起きてからも同じようにして食べた。腹をくだしてトイレに駆け込んだ。

消化されたのが2割いくのかどうかすらあやしいと思う。

栄養になった気はしない。

頭は重く、腹は痛い。

床に転がることしかできない。